量子コンピュータはいまだ実用化レベルにあらず、しかし今後の変化に期待

テクノロジー業界広しといえど、量子コンピューティングほどもどかしく、また複雑なものは、なかなか見当たらないでしょう。長年、この分野の推進者たちは、量子物理学の最も難解な暗号メッセージを解き明かし、物質界の秘められた特性を引き出して、スーパーコンピュータをも凌駕する能力を持ったマシンが現れると断言してきました。

しかし、この分野では屈指の知名度を誇り、潤沢な資金を受けたスタートアップ企業、リゲッティコンピューティングは、世間の期待値を下げようと努力しています。

現在、リゲッティ社が自らの課題としているのは、「従来型のマシンが解決できなかった問題を、量子コンピュータによって1つでも解決する」ということです。このスタートアップ企業のカリフォルニア州バークレーにあるオフィスで働く物理学者と数学者のチームは、たとえそれが、単に同じ問題をスーパーコンピュータよりも短時間に、あるいは低コストで解くようなことであったとしても大喜びしたことでしょう。

ところが、今のところ、そのような幸運は訪れていません。現時点で、同社の量子コンピュータでできることのほぼすべては、一般のノートPCでも即座に解決可能な種類のことです。そして、実のところこの悩みは、リゲッティ社だけのものではありません。より高性能な量子コンピュータを保有するIBMやグーグルでさえも「クォンタム・アドバンテージ」と呼ばれる量子コンピューティングの優位性を実証したというまでには至っていないのです。この、ともすれば不吉な響きにも思える専門用語は、「量子コンピュータが、従来型のコンピュータよりも何らかの処理を効果的に実行できるようになる理論上の瞬間」を意味します。これはAI業界でいうところのシンギュラリティこと技術的特異点のようなブレークスルーに相当しますが、それよりもさらにマニアックで曖昧なものかもしれません。

「当社が現在取り組んでいるのは、量子コンピューティングの優位性の追求です」と、社名の由来でもある創業者のチャド・リゲッティ氏は言います。「量子コンピューティングには、『まったく、お前のせいで俺のビジネスのやり方が変わってしまった』と言われるような決定的な証が、まだありません。しかし、もしその瞬間が訪れたなら、わずかな影響どころでは済まなくなるはずです。」

リゲッティ氏は、青年期のすべてをかけて、まだ実証されていない計算理論に夢中で取り組みました。7年間を費やして2009年にエール大学から応用物理学の博士号を取得した後、IBMの量子コンピューティンググループで研究者として短期間懸命に働き、2013年、34歳でリゲッティコンピューティングを設立したのです。

スタートアップ企業の基準から見れば、リゲッティ社は大きな成長を遂げています。NASAをはじめ、軍需製品メーカーのレイセオン、バークレーやスタンフォードの大学、そして自身の母校からもトップクラスの研究者たちを採用し、独自の量子コンピュータを開発しました。その際には、他社が量子コンピュータの研究開発にかけている数十億ドル規模の予算はありませんでしたが、11,900万ドルの資金を保有しており、うち5,000万ドルは、2017年末に行われた未発表のベンチャーキャピタル取引から得たものです。しかし、リゲッティは期待をこれ以上高めないようにするため、こうした投資の詳細については口を閉ざしています。ちなみに、ブルームバーグのベンチャー投資部門であるブルームバーグ・ベータも、リゲッティ社に投資を行っている企業の1つではあるのですが...。

リゲッティ氏は、ことあるごとに、悪い方向に向かう可能性のある問題が無数に存在するという事実に言及してきました。その一方で、同氏とリゲッティ社は共に、実際に自慢できる成果も上げていると考えています。たとえば、同社は、量子コンピューティングの処理能力を示す基本の測定単位である量子ビットの数を、現行マシンの6倍以上集積できる、量子コンピュータ用マイクロチップを設計しました。それは、IBM50量子ビットのコンピュータをしのぎ、グーグルの72量子ビットマシンよりも高性能なものになります。リゲッティ社は、これをベースにして、今後12ヶ月以内に、128量子ビットを搭載した実用に耐えるコンピュータを開発したい意向です。もし成功すれば、世界最高性能の量子コンピュータが生み出され、実際に従来のスーパーコンピュータをしのぐ可能性もある画期的な出来事となるでしょう。

「当社は、異なる関連領域の最前線において、非常に急速な、指数関数的といえるほどの進歩を遂げてきました。そして、すべてがコンピュータ界の超新星誕生の瞬間に向かって進んでいます。その瞬間こそが、クォンタム・アドバンテージなのです」とリゲッティ氏はいいます。

しかし、現状の量子コンピュータは、一般的なバイナリコンピュータよりもはるかにエラーを起こしやすい状態です。量子コンピュータでは、情報を扱う際に、従来型のコンピュータのように電気信号を使って一連の01を生成したり記憶するのではなく、マイクロ波エネルギーのパケットである光子の力学的挙動を利用します。その際に量子チップを絶対零度をわずかに上回る温度にまで冷やすため、多層化された複雑な冷凍工程が必要です。また、特定の粒子を含めて干渉の原因となり得る要素を取り除き、残った光子を使って計算問題を解決することになります。このシステムの魔法のように思える部分は、光子が絡み合いながら、関連する処理を並列的に行える点ですが、実のところ科学者たちは、それがうまく働く理由を完全には理解できていないのです。

「通常、量子アルゴリズムで使われる量子ビットの数が多いほど、エラーを起こしやすくなる」と、ダートマス大学の物理学助教授であるジェームズ・ホイットフィールド氏は説明します。そして、同氏による水素分子のシミュレーションでは、IBMの量子コンピュータのほうがリゲッティ社のものよりも優れた結果を出しているとのことですが、128量子ビット版が実現すれば、彼の意見も変わるかもしれません。

ところで、その保証はありませんが、たとえリゲッティ社がグーグルやIBMを追い抜くことに成功したとします。しかし、実は同社にも、まだそのマシンが本当の意味で何の役に立つのかはわかっていないのです。研究者たちが「巨大なデータベースをより効果的に分析できるようになる」、「水素原子の正確なモデルが得られる」、「より高度な人工知能を実現できる」といった持論を展開していることは確かですが、厳密には、どれも証明されたわけではありません。

「量子コンピューティングの優位性が初めて実証されるのは、機械学習の分野に違いない」というのがリゲッティ氏の見立てですが、これに対して、従業員の中には、「最初の応用例は、おそらく化学物質や有機分子のモデリングになるはずだ」と考える者もあります。

幸いにも、リゲッティ社の量子コンピュータを利用する機会が得られるならば喜んで投資したい、という企業はすでにいくつか存在しますが、同社はその社名を明かそうとしません。また、アプリ開発者向けのツールを手掛けるサンフランシスコの企業、ピボタルソフトウェアや、フレキシブルなコンピュータディスプレイの製造を手掛けるトロントの企業、OTIルミオニクスといった企業も、クラウド経由でリゲッティ社の量子コンピュータの実験に参加しているものの、リゲッティ社は実際の顧客数やこの事業による収益の公表を控えています。

わかっている範囲では、OTIルミオニクスのマテリアルズディスカバリー部門を率いるスコット・ジェナン氏は、新形態のスクリーン用有機発光ダイオードの研究にリゲッティ社の量子コンピュータを利用する1人です。同氏は、「このような実験を行う方法として、現在の量子コンピュータは最も効率的なわけでもコスト効率が良いわけでもない」としながらも、「起こり得る転換点に達する前に、この技術に慣れておきたい」と話します。「現実には、当社が設計するほぼすべての分子は、今もスーパーコンピュータのクラスタ上でシミュレーションを行っています」とジェナン氏。「もちろん、量子コンピューティングの、特に理論分野の専門家の中に、量子コンピュータの実現性に関して非常に悲観的な意見があることは知っていますが、私自身は、そのような悲観論に耳を貸そうとは思いません。」

リゲッティの競合スタートアップ企業であるディーウェーブシステムズも、ジェナン氏と同じく、悲観論とは無縁の立場を採っている。CEOのバーン・ブロウネル氏によれば、同社はすでに「クォンタム・アドバンテージを視界にとらえている」といいます。「そこに到達するには、まだ数十年を要するという見解も多いようです。しかし当社は、はるかに近い将来に、その瞬間が訪れると確信しています。早ければ、2年以内に実証されることでしょう。」

ここで、量子チップの開発現場に目を向けてみることにします。リゲッティのエンジニアリング担当ディレクターであるアンドリュー・ベストウィック氏は、通勤時には、緑のオールバーズブランドの靴にボタンアップシャツというIT業界的にシックなスタイルです。そして、カリフォルニア州フリーモントにある同社の研究所に入る前に、体を揺らしながらバニースーツ、つまり、クリーンルーム用の気密作業服を着込みます。所内では、スタッフが顕微鏡をのぞき込んだり、ロボットによる金属ウエハーの洗浄が終わるのをうろうろしながら待つ姿が日常です。ちなみに、その頃、同社のバークレーオフィスのスタッフは、この宇宙で観察しうる最低温度に近づくまで量子チップを冷やすための冷凍機を操作しています。

量子チップは、裸眼ではそうは見えないものの、光学顕微鏡を使うと、すべてを可能にする量子論理ゲートを確認することが可能です。フリーモントのチームは、16量子ビットチップをつなぎ合わせて、128量子ビットのデザインを実現する工程に取り組んでいます。そのために不可欠なのが、結果を従来の2次元ではなく3次元で伝達できる、新しいタイプの量子チップです。これによってリゲッティ社は、パズルピースのようにチップを組み合わせ、それらをより性能の高い単一のコンピュータへと変身させることができます。「当社が次に取り組むのは、無制限にスケーリングしたり、タイル状に配置したりできる量子チップです」と、ベストウィック氏は説明してくれました。

ビジネスとして見れば、量子コンピューティングはまだ研究開発の段階です。しかし、このことが、ベンチャー投資家がこの分野に奇妙な関心を寄せる理由だともいえるでしょう。リゲッティの最大の支援者であるアンドリーセン・ホロウィッツは「科学コミュニティは、多くの研究者たちが考えているよりも、はるかにタイミングで量子コンピュータの用途を発見するはずだ」と断言します。彼の投資のパートナーで、リゲッティの取締役でもあるビジェイ・パンデ氏も、次のように語りました。「最近まで、量子コンピューティングは常に未来の話で、それが実現するのは、10年後のように感じられたものです。しかし、実は2年後には実現され、世界を根本から変える可能性を秘めているとしたらどうでしょうか? ベンチャー投資が行われるのは、まさにそのような分野だといえます。」

どうやら、そろそろ、量子コンピューティングに関する期待値を下げる努力は、やめてもよいときがきたようです。

本稿の執筆者の連絡先:エリック・ニューカマー(サンフランシスコ、enewcomer@bloomberg.net

©2018 Bloomberg L.P.

この記事はBloombergのエリック・ニューカマーが執筆し、NewsCredパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@newscred.com.にお願い致します。