美しいハイビジョン映像を世界中の人々に──。(後編)

【未来を創るチカラVol.9】デジタル映像H.264/AVC実用化でハイビジョンの世界的普及に貢献 中川 章

低演算量の民生用と高画質な業務用、二兎を追う

インタビュー前編からの続き)
社会から大きな期待を寄せられる一方で、『マンモスコーデック』と呼ばれ実用化は困難とも言われていたH.264/AVC。しかしその実用化の第一歩である符号化のアルゴリズムの開発に成功した中川たちは、次にこのアルゴリズムの実用化、H.264/AVCの製品化を目指しました。

「これまで民生用と放送機器等の業務用のLSIは、異なることが一般的でした。民生用では、画質はもちろんですが、コストが最重要となります。LSI単体のコストだけでなく、消費電力も影響します。逆に放送などの業務用途では、伝送帯域は限られているため、いかに少ない情報できれいな映像を伝送できるかが重要で、画質が第一優先となります。その分、LSIの規模が大きくなりがちで、その結果、価格は民生用に比べて、一桁以上違うことが一般的でした。」

H.264/AVCのLSIを搭載したエンコーダーとデコーダー

「しかし民生用でも画質の良し悪しはコンシューマ商品の競争力に直結しますし、業務用機器も低コスト化は重要です。もし、民生用の計算量・回路規模・コストで、放送局が満足する品質を満たす映像符号化LSIが実現できれば、民生用、業務用、両方のお客様に大きなメリットがあります。

富士通には、電子デバイス部門の民生機器のお客様と、放送局など業務分野のお客様の両方がおられました。H.264/AVCをどちらのお客様にも使っていただきたい。『マンモスコーデック』などと呼ばれ、実用化すら困難視されているからこそ妥協せず、高い目標を持とうと思い、製品化では民生用と業務用の二兎を追うことに決めました。」

市場からの高い期待感によって、開発期間は前倒し

「製品化の方針が決まったものの、本当に大変なのはこれからでした。演算量を削減できたというものの、H.264/AVCはまだMPEG-2の2倍の計算量があり、非常に多くの機能が詰め込まれたために方式も複雑でした。300ページ以上ある標準化規格文書に記載された、全ての機能に対応する必要もありました。さらに市場からの高い期待によって、開発期間はどんどん前倒しとなりました。」

「この難しい開発のために、様々な専門性をもった、数多くの優れたメンバーが集結しました。これがまさに、ドリームチームでした。

普通なら先にハードウェアがあるのですが、今回はハードウェアの設計とソフトウェアの開発、そして伝送装置の開発、すべてを並行でやらなければなりません。LSIは一個バグがあると作り直しになって、数億円が飛んでしまいます。ミスできません。チェックしてチェックしてチェックして、皆でひたすら丁寧にやっていき、その結果、普通であれば2年くらいかかるような当時としてはかなり大規模なLSIと映像伝送装置を、1年という異例の短期間で完成させることができました。

製品化してからは、開発した映像伝送装置やLSIの商談でお客様と接し、技術力のアピールに努めました。特に映像伝送装置では、海外の大手放送局様での技術ディスカッションを通じて、技術への信頼を高めていただきました。初めに技術を高く評価してくれたアメリカの大手放送局とは、さらに多段中継時の色にじみ抑止技術を共同開発して放送業界標準の規格を成立。世界の放送局による採用に繋げることができました。」

あらゆる開発ステップで、想定外の事態は頻発する

「(符号化アルゴリズムの開発までの)少人数の研究では、メンバーの背景知識や使う専門用語も共通なので、すべて自分たちの裁量と自由な環境で、日々、喧々諤々の議論をしながら濃密な研究開発ができました。実験設備も自分たちで組み上げ、自分たちで研究を進めている実感がありました。同じ目標に向かって議論を進め、成果が出ることによって、メンバーのモチベーションも自然に上がるという好循環を生むことができたおかげで、短期間でH.264/AVCのアルゴリズムを生み出せたと思います。

一方、製品開発は、回路設計、ソフト設計、装置設計の技術開発や、スケジュール・リソース管理など様々な専門性が必要な作業があり、各分野の超一級のスペシャリストを集結することができました。私は予定通りの性能のLSIをスケジュール通り開発する役割なので、しっかりとした開発・検証計画を立てることが大事でした。しかし設計・開発・試験・評価のあらゆる開発ステップで、様々な想定外の事態が頻発します。時には重大な問題も発生しましたが、そのたびに様々な専門性をもったチームの仲間で取り組めたので乗り越えることができました。これはチーム力の賜物だと思います。」

研究の上流から出口まで、最高の経験ができた

大学で『顔学』で有名な原島博先生(東大名誉教授)の授業で映像符号化技術に興味を持ち、この世界に。

「これまで、基礎研究から国際標準化、実用化研究、製品開発、商談支援と、研究の最上流から、製品化の出口まで携わることができました。全体を通じて、様々な研究開発フェーズで課題に取り組んで挑戦するたびに、仲間やお客様との繋がりが拡大できたと思います。それと同時に、各研究フェーズで学んだ知識や経験、そして仲間たちとのチームワークが、多くのピンチを救ってくれたとも思います。研究の上流から出口まで、技術者として最高の経験ができました。」

紫綬褒章はチーム力の結晶。そして研究は続く

放送機器の業界団体SMPTEで論文賞を受賞するなど業界で高い評価を得た中川は、2016年には、世界のハイビジョン化に貢献したとして、紫綬褒章を受章しました。

「受章は、富士通グループの技術力、チーム力の結晶だと思います。映像技術の研究開発には、モノ作りの様々な技術やノウハウが不可欠です。H.264/AVCの実用化技術の開発で世の中に貢献できたのは、富士通グループの多くの仲間たちが持つ、優れた技術や経験の強みを融合し、活かしきれたからだと思います。
仲間たちを代表して、このような栄えある褒章を受章したことは大変光栄で、ご指導いただいた諸先輩方や仲間たちと、喜びを分かち合いました。」

H.264/AVCの次は、富士通、ソシオネクスト、富士通研究所と協力して、H.265/HEVCのLSIを開発し、これを用いて、すでに4K対応の映像伝送装置 IP-HE950を製品化した中川。その研究は止まることがありません。
http://pr.fujitsu.com/jp/news/2016/10/28.html

「この装置には、これまで培った富士通の技術・ノウハウが詰め込まれていて、H.264/AVCに比べてさらに半分の情報量で高品位の映像伝送を行うことができます。すでに多くのお客様にもご採用いただいていて、今年度に開始される4K/8K放送の普及により、この装置が活躍する場はますます広がると思います。」

様々なことに興味をもって、知識への栞をつける

実現困難と思われるような高い壁を何度も乗り越えてきた中川の話からは、つねにピンチを救ってくれた「何か」が見えてきます。それは、仲間の存在や中川自身の発想かもしれません。

「築地の場内に行って、大きな魚をまるごと一匹ドンと買ったり。旅行に行ったり、車関係にも興味があります」

「これまでの経験から言えることは、様々なことに興味をもって、知識への栞をつけることだと思います。業務に関連する分野はもちろん、一見、仕事とは関係のない幅広い分野においても、原理や原則まで軽く一歩踏み込んで理解し、そして、それらの知識への栞をつけることが重要ではないかと──。その栞があれば、必要なときに、その知識を引き出すことができると思います。数多くの知識への栞と、強い思いがあれば、セレンディピティ(予想外の発見、偶然の幸運など)の確率が上がると思うんです。

H.264/AVC実用化のために、主観品質が高いとはどのようなことか考え続けながら、それを実現するためのアルゴリズムの試行錯誤をひたすら繰り返していました。そうしているうちに、最初は全くダメだった画質を改善する糸口が徐々に見え始め、ある時一気に視界が開けたように、高画質化を実現する原理・原則を思いつきました。

おそらく神様は、何かの課題を解決するヒントを、万人に等しい確率で与えてくれると思うのですが、そのチャンスに気づいて解決策を導くかどうかは、幅広い知識への栞の量と、その課題をどれだけ深く考えているかの思いの深さに強く依存すると思います。」

富士通研究所
准フェロー
中川章
1989年東大工学部電子工学科、1991年同大学院修士課程を修了。
同年富士通研究所に入社。以来、動画像符号化技術の基礎研究、国際標準化、LSI・装置開発に従事。
博士(工学)、平成28年春の褒章で「紫綬褒章」受章